肢体|実績紹介

肢体についての障害年金申請実績のご紹介を多数しております。多くの方に障害年金を受給して頂くために、全力でサポートします。初回メール相談は無料。当事務所は、完全成功報酬制度をとっております。安心してご依頼ください。

  • 2015.03.19

    頚椎、胸椎後縦靭帯骨化症

    靴を履こうとした際に急に力が入らなくなるといったことがあり、膝が折れるといった感覚を覚える様になった。次第に病状は進み、身体を動かすこともままならない状態に陥り、仕事を続けることが出来なくなった。ご相談された時は、杖歩行であった。手の指先なども不自由になってしまったため、細かな作業もできなくなった。また、座位の保持も困難な状態であった。衣類の着脱などについても介助が必要な状態であり、身体の痛みから横になっていることも多かった。当初、医師が障害年金の診断書を書かないとの話があり、申請に大変難航したため、サポート期間も長期間となった。しかし、諦めずに申請をすることを目標に進めていき良い結果が出たことに大変満足されていた。

    認定:遡及  障害厚生年金2級+障害基礎年金2

  • 2015.03.19

    関節脱臼骨折

    足の人工関節で認定を取ったという話は聞くが、肩に人工関節を入れても認定がとれますか?とのことで相談があった。そのため、人工関節を入れたという事実を持って認定が取れるので大丈夫だと説明をした。主治医が、診断書を半年待っても書いてくれず、書いたことがなかったために何度となく診断書記載を断っているとのことであった。そのため、私自身が病院に赴き、医師に診断書の書き方を説明した。しっかりとした診断書を作成して頂け、無事に認定を取ることが出来て大変 喜んで頂けた。

    認定:障害厚生年金3

  • 2015.03.19

    両側手関節変形性関節症

    都会での仕事を続ける中で、色々なことが嫌になり気持ちも落ち込んでいった。気持ちが落ち込んだ時に住んでいたマンションから転落してしまった。当時の記憶はほとんどなく転落の時に手などを強く打ち付けた様で、救急搬送され直ぐに入院となった。その時に手関節等の手術を行い、術後は身体の自由は奪われ寝たきりの生活であった。リハビリの結果、少しずつ歩ける様にもなったものの、両手全ての指が変形し動かなくなってしまった。相談された時には両手指の機能障害が重く、身体障碍者手帳も取得していた。遡及する診断書についても、当時のカルテにある記録でしか記載できないという状態であった。日常生活は非常に不自由であり食事なども困難を極めるが、指が使えないということで認定はされるのか?と相談された。無事に認定され安心したとのことであった。

    認定:遡及 障害厚生年金3

  • 2015.03.19

    変形性股関節症

    歩行時に足に違和感を覚え、病院を受診すると変形性股関節症である旨の説明をされた。次第に仕事場で立っていることも難しくなり、今までと同様に就労できるとは思えなくなったため、色々とネットで探してみたところ障害年金という制度にたどり着いた。階段を登ることが難しく、買い物などの荷物を持つといった行為は非常に辛い。和式のトイレは使用できず、横座りなどもできないなど、日常生活に支障をきたしていた。変形性股関節症の場合、年金機構から先天性ではないか?と疑いを持たれることがある。そのため、仕上がった診断書の記載等にもその辺をよく踏まえて確認しなければならない。先天性の場合、20歳前障害との扱いになり障害基礎年金扱いになってしまうため、変形性股関節症では認定が取れなくなってしまう。無事に障害厚生年金3級が支給され安心できた。

    認定:障害厚生年金3

  • 2015.03.19

    頚髄症・下肢骨折変形治癒

    幼少期にトラックに轢かれ瀕死の重傷を負ったものの、病院へ救急搬送され一命を取り留めた。意識が戻った時は集中治療室に入っており、片足の破裂、十数か所の複雑骨折等の重症で奇跡的に一命を取り留めた状態であった。その後、幾度となく手術を繰り返され現在に至るとのことであった。実に事故40年以上も経過しており、初診日についてはカルテの保存もなく廃業している病院もあった。20前障害であったため、初診日不確定につき不支給とならないためにも、当時の事故などがかかれた新聞等を探したものの、新聞の保管もなかった。唯一、身体障害者手帳発行に日付を頼りに意見書を探した。幼少期からの転居などを追って、手帳の意見書を探したところ、40年以上も前の医師の意見書が見つかった。20歳前障害の場合、初診日についての証明を確実に20歳前で固めて書類を作成する必要がある。無事に障害年金が支給され、喜んで頂けた。「白石さん以外の人だったら、ここまでやってもらえなかったと思う。良い人に巡り合えてよかった。」の言葉が一番の私へのご褒美となった。

    認定:障害基礎年金2

  • 2015.03.19

    脳出血

    仕事中、急に文字が書けなくなった。座位も取れず右半身が麻痺をした様になり、病院へ緊急搬送された時には意識が遠のいていた。右半身が完全に麻痺をした状態になっており、着替え、入浴、排せつ等についても全介助状態に陥った。言うまでもなく車いす生活となり、長期に会社を休職した後の職場への復帰が絶望的となった。リハビリの甲斐もなく医師からは症状固定を言い渡され、日常生活は右半身の完全な麻痺により不自由なものとなった。身体障害者手帳は2級であったが、1人での外出は困難。その上、利き手側の麻痺であったため、着替え、食事、入浴等に関しても困難を極めた。また、麻痺に加えて感覚鈍化や体幹機能障害もあり、座位の保持も難しい状態であった。身体の強張りなどもあり、日々の生活ですら非常に不自由であり、家族も就労していることから、専門家に依頼をした方がスムーズに申請が進むと判断し障害年金の申請の依頼を考えたとのことであった。1級認定になったことに驚かれ、申請がスムーズに進むこと以上に等級が1級であったことで専門家に依頼した甲斐があったとのコメントを頂いた。

    認定:障害厚生年金1級+障害基礎年金1

  • 2015.03.19

    筋緊張性ジストロフィー

    身体に違和感を覚え病院を受診したのは、今から20年前のことであった。さらに、その後10年以上の通院歴がなく、病状が悪化してからの再度通院となっていたものの、20年前のカルテの保存があったことが幸いだった。病状は重く、完全に車いすの生活で全介助状態であったが、今まで障害年金という制度を知らなかったという彼女の言葉に胸が詰まった。ヒアリングをもとに医師への診断書依頼文を作成した。認定は1級であり、本人もとても喜んでいた。ヒアリングの時には生きていくことも辛いとの話があったが、白石さんに出会って生きる希望が持てた、白石さんの声を聞くだけで落ちつけたとの感謝の電話があった。ご縁があったことに私からも感謝した。

    認定:障害基礎年金1

  • 2015.03.19

    筋緊張性ジストロフィー

    仕事中、手に力が入らないと感じることが増えたものの、仕事で疲れているのか?と思い 病院に行くことはなかった。また20代の時とは違って体力も落ちてきたのだと感じ、そのまま仕事を続けていた。年々手に力が入らなくなり、仕事にも支障をきたす様になってきたが、それでもまだ加齢のため足や手に力が入らないのだと思い込んでいた。指先を使う細かな作業もできなくなったため仕事に支障をきたすと判断し、仕事の合間に病院を受診することにした。近隣の個人病院を受診するとすぐに、大きな総合病院での受診を勧められた。総合病院での検査の結果、筋緊張性ジストロフィーである旨の説明があった。継続的な通院後、医師から身体障害者手帳の取得を勧められ、3級の手帳を取得。しかし、手に力が入らないことや、歩行もすり足になるなどの障害が起こり職を失った。その後、病院側から障害年金という制度があることを勧められ申請をすることにし、無事2級が認められ喜んで頂けた。

    認定:障害厚生年金2級+障害基礎年金2

  • 2015.03.19

    壊疽により足の切断

    自宅内を歩いている時に、足の裏にごく小さな怪我をしてしまった。その時は軽く考え、すぐに治ると思い自分で消毒をするなどの処置をしていた。3週間くらい経過しても傷口は一向に良くならず、むしろ膿んでいる様だった。次第に悪臭を放つ様になり、さすがに気になって病院に行くと足を切断しなければならない旨の説明を受け驚いた。菌が足の膝までに達しており、原因は糖尿病からくる足の壊疽であると判明した。まだ義足なども作られておらず入院中であった。身体障害者手帳は4級であるため、障害年金に該当するのか心配だとのことであった。病院でヒアリングを行い、足の切断の場合は初診日から1年半を待たずとも申請が出来るため、切断の日を認定日として申請を進めた。2級認定が無事おりて、とても安心しましたとのことであった。

    認定:障害厚生年金2級+障害基礎年金2級

  • 2015.03.19

    頸髄損傷

    家での作業中、誤って数メートルの高さから落下した。落下後、意識が遠のき救急搬送され、病院で意識を取り戻した時には、首から下が麻痺した状態で、身体が少しも動かなかった。集中治療室での治療後も身体に力が入らず、脱力感等に襲われ、完全に全介助状態に陥った。その後、懸命なリハビリの甲斐もあって、少しずつ手を動かせる様になり、杖をついて歩行も可能になった。医師からは奇跡が起きたと言われる程であった。就労できるまでに回復をしたものの、以前と同様の仕事内容は困難であり、給与面でも苦しい状況になった。そのため、国の福祉などをネットで探すうちに障害年金という制度を知り、相談をしたとのことであった。その際に生活のために3級ではなく2級が希望であるとの話があったため、しっかりとヒアリングを行い、医師への診断書作成依頼文を作成した。申立書についても日常生活の不便さなどをしっかりと記載し提出。2級認定であったことから「白石さんにお願いをして良かった。」との話に胸がいっぱいになった。

    認定:障害厚生年金2級+障害基礎年金2級

  • 2015.03.19

    頚椎椎間板ヘルニア

    手術後も病状が悪く1日横になって過ごしていたのにも拘わらず、以前に自分で申請した際には不支給という結果であった。何故、不支給になったのか分からず障害年金を諦めきれないため、もう一度申請をしたいとのご相談であった。一度申請をした書類を出来るだけ集めて頂き、何が原因で不支給であったかを考える時間を頂いた。病状は非常に重く、2級に十分に該当する状態であると感じた。手や腕の機能については支障なく日常生活を送ることは可能であったものの、歩行障害があり、常時 杖を使用しなければならず、座位の保持も難しい状態であった。天候の悪い日は1日横になって過ごす状態が続くとのことであった。不支給になった原因としては初診日の設定が悪かった様だった。初診日をしっかりと固め、再度障害年金を申請して2級認定となり、大変喜んで頂けた。

    認定:障害基礎年金2級

  • 2014.11.02

    橋中心性髄鞘崩壊症

    夜中に喉が渇き、水分を多く摂ることが多かった。しきりに喉が渇き、水分を摂るとすぐに排尿に至るという状態の日が続いたため病院を受診したところ、尿崩壊の疑いがあるとのことであった。病状は悪化し、仕事を続けられる状態ではなくなっていた。その年の暮れに、いつもよりも多く飲食をしたところ発作が起き、救急搬送された。身体が硬直した状態となってしまい、手足や顎が動かなくなり足は突っ張った状態で固まってしまった。その後幾度かの手術をしたが、劇的な病状の改善は見られず、遂には言葉も発することや歩行もできなくなった。そのため、外出時は車いす若しくは親に背負われての移動になり、起き上がることもできなくなったために電動ベッドを使用していた。診断書に言語についての記載をして頂けなかったことなどから、申立書は言語についても触れ作成した。無事1級認定が届き、専門家に任せて良かったとの言葉を頂いた。

    認定:障害基礎年金1級

  • 2014.11.02

    変形性股関節症

    最初のご相談は、人工関節の手術をしていなくても障害年金の認定は取れますか?というものであった。今まで幾人もの専門家に相談したとのことであったが、皆、人工関節の手術をしてようやく3級認定になるとの回答だったことや、初診日のカルテがないことから申請に困り果てていたとのことで相談したという。今までの経験から人工関節の手術をしていなくても認定は取れているため、申請を進めることにした。発病し病院を初めて受診したのがかなり前であり、初診の病院のカルテの保存は無かった。当時の病院に行った小さなレシートがあったため、そのレシートを初診日の証明として提出し書類を整えた。手術をしていなくても3級認定が届き、喜んでもらえた案件。

    認定:障害厚生年金3級

  • 2014.11.02

    脊髄系留症候群

    生まれた時から二分脊椎であった。大人になり歩行障害、排尿障害が出現したため、仙椎の部分切除手術を行ったが、右半身麻痺、排尿障害等は残った。自己カテーテル導入などを頻繁に行わなければならず、仕事にも制限がかかる様になったため、仕事をしている状態でもこれらの症状から障害年金の対象になるのか?と思い相談したとのことであった。今までの経験から、仕事をしていてもおそらく認定の対象になる旨を伝え申請を進めることにした。3級が認められ、本当に心から感謝していますとのお話を頂き、申請の苦労も飛んでしまったかのように感じた。

    認定:障害厚生年金3級

  • 2014.08.02

    顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー

    発症は10代であった。両手を挙げると肩が痛むことから病院を受診したものの、日常生活に支障はなく、学校生活でも制限を受けることはなかった。医師から総合病院や大学病院を受診する様に言われ受診し検査をしたところ、聞きなれない病名を告げられた。次第に病状は悪化していき、スポーツをすることが出来なくなった。その後、歩行にも支障をきたす様になり始め、就職のために身体障害者手帳を取得した時には3級の認定が下りたほどであった。倦怠感、脱力感等により日常生活にも支障をきたす様になっていた。自分も障害年金に該当するのでは?との相談から始まった。ヒアリングを行ったところ、2級~1級に該当するだろうという感触であったため、その内容を反映した医師への診断書依頼文や日常生活について詳細に記載した申立書を作成した。認定が1級であり、大変喜んで頂けた案件であった。

    認定:障害基礎年金1級

  • 2014.05.10

    脊髄炎

    握力の低下を気にはしていたが、日常生活を送ることに対して支障が出る程ではなかったため、病院をすぐに受診することはなかった。次第に、明らかに握力が低下していると自覚する様になり、病院を受診した。医師から脊髄が炎症を起こしている旨の説明があった。継続的な治療を行っていたにも関わらず、病状は進行し、日常生活でもかなりの支障をきたす様になった。両手を使うことができない状態にまで陥り、手帳の取得、障害年金の申請を考えたとのことだった。当初、ご相談を受けた時にはすでに診断書が仕上がっており、内容が、身体障害者手帳の等級から考えても日常生活の辛さを反映したものではなかった。ヒアリングをもとに、医師へ審査の根幹となる部分のみ診断書の再検討を依頼した。日常生活では、介助等も必要な状態であり、その辛さを申立書にはしっかりと記載をした。遡及も認められ、大変喜んで頂けた案件。

    認定:遡及  障害基礎年金2

  • 2014.05.10

    突発性大腿骨壊死症

    疲れやすいと感じる日が多くなった。人間ドックを受けた際に再検査となり、病気が発覚した。筋肉が痛む、疲れやすい、呼吸が苦しい等の症状があったが、日頃の忙しさから自分の身体を顧みることはなかった。次第に関節まで痛み始め、歩くことも辛くなった。杖を使用し、なんとか歩行をしていたが、医師から人工股関節の手術の話があり、ここまで状態が悪くなっていることに驚いた。既往症等もあり、それらを踏まえての書類を整え、申立書には、日々の辛さをしっかりと記載した。

    認定:障害厚生年金3

  • 2014.03.10

    脳梗塞

    パソコンを打っていた手が思うように動かせない状態になり手に違和感を覚えた。立ち上がろうとした時に足がガクガクと震え、明らかに身体に異変が起きていると自覚した。意識が遠のく中、救急搬送され入院となった。この時から半身麻痺の状態になり、身体を動かすことも出来ず車いすの生活となった。入浴、食事等、生活のほとんどを介助が必要な状態となってしまった。その後、懸命なリハビリにより回復するものの、症状がこれ以上改善されないとして、リハビリも中止となった。初診日から1年半は経過していない状態であったが、症状固定されているということで、障害年金のご相談の時に申請をすすめた。当初、3級レベルかと思われたが、2級の認定が届き、喜んで頂けた案件

    認定: 障害厚生年金2級+障害基礎年金2

  • 2014.01.27

    脳梗塞

    突然、身体に痺れを感じる様になった。身体に違和感を覚えたものの、仕事の疲れかも知れないと思いそのまま就寝した。翌日、布団から起き上がることもできなくなり全く身体を動かせなくなっており、言葉を発することもままならなかった。すぐに救急搬送され入院となったが、半身は全く動かず、車いすの生活となった。半身の脱力が酷く、顔も半分が垂れた状態となってしまった。懸命なリハビリにより、なんとか杖を使用し歩行が出来る程にまで回復したが、後遺症が残った。相談を受けた時は、初診日から1年も経過していない時期であったが、1年6ヶ月を待たずして障害年金の申請を提案。身体障害者手帳も取得していなかったため、障害年金と身体障害者手帳の取得を同時進行で進めていく様にした。1年6ヶ月を待たずに認定が届き、喜んで頂けた案件。

    認定:障害厚生年金3級

  • 2013.11.06

    線維筋痛症

    ストレスから、身体の調子が悪いと感じる日が多くなった。その後、気圧の変化でも身体が痛む様になった。病院をいくつも行ったところやっと線維筋痛症であることがわかった。洋服を身にまとうだけでも身体が痛む日が続き、1日横になって過ごさなければならないため、就労することができなくなり職を失った。身体の自由が日増しに奪われ、細かな作業もできなくなった。食事の時でさえも、介助が必要な状態に陥った。家族の介助がなければ日常生活は成り立たない程の状態であった。障害年金のご相談の時に、この病気を理解してくれる人がいない、と涙を流して訴えていたことがとても心に響き、なんとしてでも診断書を書いてもらえる医師を探し、認定を取らねばと思った。満足の認定結果になり、とても喜ばれた案件。

    認定:障害基礎年金1級